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ニコルさんたちの財団では、子どもたちを招待して森で遊ぶという企画を毎年行っています。その中での話です。「目の不自由な子どもたちを川に連れて行くと、目をつぶりながら子どもたちと話します」「ねえ聞いて、この川は笑っているでしょ、話しているでしょ。石と話しているでしょ」「ここは流れが速くなって喜んでいる。ここは逆流して、水と水とがぶつかりあって、ちょっとざわざわしている」「この川は生きているから触ってごらん。手にすくって、味わってごらん。」と、子どもたちにはなしかけるそうです。底をコンクリートで固めた滑り台みたいな川だと、川は喜んでいない、それは音でわかるのだとニコルさんは言います。「ほら聞こえるでしょ。この中に落ちたら危ないよ」と。
そうやって耳を澄ます経験を積んだ子どもたちは、雨がたくさん降った日、水流が多くなった川の音を聞いて「この川は笑っていないよ。怒鳴っているよ」と、大人よりずっと早く判断するそうです。 |
人間はこういう小さな判断を、「いっつもいつもしていく」ことが大切なのだとニコルさんはいいます。ある日、コンピュータ会社に勤める30歳代の女性が、アファンの森を歩きながら「ちょっとわからないことがあります。この森の木には種類があるのですか」と尋ねたそうです。「その人は教養もあるし、桜もブナも名前は知っている」「でも実際に森で見て判断するというチャンスがなかったのです」
都会の中で、私たちは少しずつ生き方を小さくしているのかもしれません。本やインターネットで何でも知っているような気がしますが、自然の中で自らが未知なるものと遭遇し、そこから学んでいくという時間がどうしても少なくなっているからです。
ひとくちに自然といっても、その世界は広大です。私たちはもういちど、この大いなる存在と向かい合い、学ぶことが必要なのかもしれません。 |